「仙台舞台芸術フォーラム」インタビュー
長谷川孝治
インタビュー・編集:谷津智里
ポストドラマとしての「祝/言」と「壊れる水」
(『祝/言』より 撮影:鈴木理策 )
谷津 「壊れる水」は2013年に上演した「祝/言」のドラマリーディングということになっていますよね。でも戯曲を読むと「祝/言」の内容は書かれていないように思います。
長谷川 最初、「祝/言」の再演もしくはドラマリーディングをやって欲しいとご依頼をいただいたんですが、「祝/言」は、中国・韓国との交流事業で、向こうの俳優や音楽家と一緒に作った作品です。それをやろうと思ったら、俳優も音楽もすべて同じでもう一度やるしかない。でもそれは無理です。それで今回は、「祝/言」の再構成として自分自身の物語を書きました。
谷津 「壊れる水」は長谷川さんご自身の物語なんですね。
長谷川 僕が今、責任を持ってできるのは「俺はあの震災の時どうだったのか」ということを嘘偽りなく書くことだけですから。僕は「みんなでこのことを考えてみましょう」というのには嘘臭さを感じます。不特定多数に対するメッセージは、誰かに対するメッセージでも、自分に対するメッセージでもない。そこに向き合うことを、あの震災の後、実は僕自身、して来なかったんです。僕は15年間、青森県立美術館の舞台芸術総監督を、青森県のために青森県の予算でやっているわけですが、そうすると、不特定多数に対する、不特定多数が良いと思えるようなぬるいメッセージしか出せないんですよ。でも本当はそれだけじゃダメなんです。生前どんなに誰かと一緒のつもりでも、死ぬことは自分で引き受けなきゃいけないのと同じで、震災のことも自分で引き受けようと。「壊れる水」は、戯曲だけを見ると私自身のことしか書いていません。だから観る人によっては「あれは『祝/言』じゃないじゃないか」と言われるかもしれない。でも、全体の作品としてはまさしく「祝/言」になっている。そういう風に作りました。「祝/言」の別の形での表現、と言えるかもしれません。
谷津 「祝/言」は、台詞だけでなく、音楽やダンスや写真と一緒に構成されているのが特徴的な作品でした。
長谷川 今、世界の演劇の潮流はポストドラマなんです。ポストドラマというのは、台詞中心ではなく、映像であるとか、ダンスとか、音楽とかを、主従の関係ではなく全部独立した構成要素として、演劇を成立させようということです。台詞だけ、言葉だけだと、伝わるものが単なる「情報」になってしまうんですね。言葉で表現できるものが世界の全てだという既成概念がまだまだあって、なかなかこれを打ち破るのは難しいんですが。例えばある芝居で、二人の男がものすごく牽制しあっているシーンがある。でもその男の憎しみ、怒りを、僕は戯曲にはたった一行しか書いてない。ここで、一人の方の男が怒りのタップダンスを15分やる。それが一番、観た人の中に残るんです。15分ですよ、ほぼ限界です。プロのタップダンサーは足が壊れるから15分も踊らないです。すごい迫力でやる。戯曲っていうのはそういうことです。戯曲が優位になると、とにかく書かれていることをやる。言葉以外の世界は無い、言葉の世界から出てしまったものは我々には関係ないということになってしまう。僕はそうは思わない。もっとはみ出るものがあって、むしろはみ出たものの方が美しい、はみ出たものしか見たくないというのがあって。戯曲に書かれているのは僕の言葉です。でもそこから漏れてくるもの、例えば、俳優が一人立ち尽くす姿から伝わるもの。そっちのほうが実は演劇的には非常に大きいんです。
谷津 「壊れる水」は、「祝/言」を言葉で理解するのではなく感じるものだと。
長谷川 感じるというか、言葉以外で捉える。人間には理性と感情の二つしかないわけじゃない、というのが演劇の考え方。ゼロかイチかじゃない。どっちかじゃないんです。政治というのは、投票するかしないか。選択肢を狭めていって二者択一にするんですが、我々劇作家とかアーティストっていうのは、選択肢を広げるんです。俳優とか劇作家とか演劇人は、身体的に「ちゃんと生きてる」連中が多いです。普通の人から見れば「ちゃんと生きてねぇだろ」って言われる職業かもしれないけど。いろんな空気感とか、地域社会の動き方とか、そういうのを肌で感じるんですよ。言葉ではなくて。
谷津 長谷川さんの身体が感じた震災が、「壊れる水」で表現されているんですね。
長谷川 2011年の4月、震災の一ヶ月後に太宰治の「津軽」という芝居をやりました。その時は、岩手から青森にに避難してきた方々にも観ていただいたんです。その時、避難者の方を受け入れているお寺のご住職からこんな話を聞きました。避難されてきた方の一人がこう言ったそうです。「私は津波から車で逃げる時に、前を走っている人たちを轢き殺してしまった。こういう私は生きていていいのでしょうか。」と。それを聞いて打ちのめされました。その人に「生きていてもいいんだよ」って言えるのは、もう宗教か芸術しか無いですよね。それはその人にとって早く忘れた方がいい。忘れた方がいいんです。忘れるというのも、神様がくれた人間の才能の一つです。「あの震災を忘れちゃいけない」と簡単には言えないものがある。だから僕は劇作家として表現者として、被災した東北の人たちにどういうスタンスをとればいいのか常に考えています。
「壊れる水」の中で、そのお坊さんの話をする場面があるんですが、そこに僕は寒立馬(かんだちめ)の映像を入れています。寒立馬っていうのは、下北半島の先端にある尻屋崎灯台のところに放し飼いにされている馬です。冬も放し飼いで、吹雪の中でじーっといるんです。不思議な馬ですごくフォトジェニックなので、写真家がいっぱい撮ってるんですが。今回、串田明緒さんという方が撮った寒立馬の映像を入れています。馬はただじーっとしてる。ただ生きてるだけ。何もしていない。ただじっと吹雪に耐えながら生きてるんです。それに僕は、被災者のことをオーバーラップさせるんじゃなくてむしろ僕自身をオーバーラップさせた。言葉を持たず、ただそこにいるだけ。非常にプリミティブな眼差しです。それは「祝/言」にも共通している僕自身の眼差しです。
演劇の「共有する力」
(『祝/言』より 撮影:鈴木理策 )
長谷川 もともと僕が「祝/言」をやろうと思ったのは、中国や韓国の連中があの震災をどう見たのか、興味があったからなんです。もともと中国、韓国の俳優とはずっと付き合いがあったんだけど、震災の後、夜中に連絡が来るんですよ。「どうしてる?一緒にやりたい」と。それで僕も「ああ、俺も一緒にやりたいよ」と。彼らがどういう風に見ているかを知りたかった。それで参加してもらったんです。日本と中国と韓国は、国同士の話で言うと、距離的には近いのになぜか分かり合えない。でも僕たちは個人的なレベルで付き合っている。その3者で、お互いをリスペクトしながら「弔い」を共有したかった。
韓国、日本、中国で全部で26ステージあったんですが、その間に表現がどんどん深まっていきました。演技の中にもダンスの中にも表現の中にもいろいろな形で現れてくるんですよ。強烈なシンパシーが生まれていくんです。一緒にいるよ、隣にいるよ、と。伝わり方も変わってくる。繰り返すことが大事です。演劇の場合は映画と違って流通できないでしょう。でもね、おそらく映画の10倍くらい伝わり方の強度があるんですよ。同じ空間で息をしてることが一番大きいんだけど。だからやっているうちにどんどん変わってくるんですよね、同じ時間を過ごすことで。
距離の違いによる感じ方の違いは、近いと思っても確実にあります。震災の後3年経って、韓国のセウォル号という客船が沈没して大勢亡くなったんだけど、その時に韓国の俳優から「長谷川さん、俺らようやく『祝/言』の意味を本当に理解しましたよ」っていう連絡が、全出演者から来ました。
谷津 距離感が縮まったと。
長谷川 縮まったんですね。だから、ある一つの事柄を共有する行為が必要。ネゴシエーションするんじゃない、共有するんですよ。それは政治的には絶対に無理なんだけど、我々アーティストにとって大事なこと。だから、チベットへの弾圧のことも香港のデモのことも、我がことのように胸が痛い。
谷津 それは共有をしているから?
長谷川 そういうことです。演劇人だけが共有してどうするんだよと思われるかもしれないですが、演劇人というのはそれをいろんなところに振りまきます。「俺はこういう風に考えてるよ」って。それはとても大事なことだと思います。政治と違うやり方で、他の人たちに対してメッセージを送ることができる。それが演劇人ですよ。
人間には「物語」が必要
(『祝/言』より 撮影:鈴木理策 )
谷津 震災の後、主人公が何も書けなくなるというシーンが「壊れる水」に出てきますが、長谷川さんご自身もそうだったんでしょうか?」
長谷川 まったく書けなかった。書けなくてね、どうしようもなかったんですよ。小説家の保坂和志は僕の親友なんですが、彼も書けないと。何で書けないかというと、いったん世界が終わっちゃったの。「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」っていうアドルノの有名な言葉がありますが、それを思い出しましたね。言葉はすべて無力だと。さっきのお坊さんの話を聞いたことも衝撃だったし、ある時は、13歳くらいの少女がずーっと瓦礫の上を歩いている映像をテレビで見ました。少女がいて、ディープフォーカスで遠くの方まではっきり瓦礫の山が見えている。そこで少女が「お母さーん」って叫んでいるんです。「私の言葉には力が無い」と思いました。あのとき、劇作家も小説家も、みんな言葉を失っていきました。どんどん失っていくんです。起きていることを言葉に置き換えることができない。何か見たものに対して言葉を引っ張ってきて、新しい価値を見出すことができない。2011年の3月11日のあの日から、言葉をどんどん失くして、語る言葉を持たなくなった。それは、劇作家にとっては生きるべき世界を失くしたのと同じなんです。
そこからどうして立ち直れたかというと「物語を作らなきゃいけない」と思ったから。やっぱり物語で解決しなきゃいけない。解決にならなくてもいいんだけど、物語が必要なんです。小学校に上がる前の子どもたちって、絵本を読んでもらいたがりますよね。「いっぱい読んで。もっともっと」って。あれは理性の芽生えなんですよ。子どもたちが複雑な世界の中で理性的にものを考える手がかりは物語なんです。それは大人にとっても同じこと。今、イエスかノーで単純に分けてしまうような画一的な世の中になってきている。本当はもっと複雑なものなのに。世界を理解するために、まず物語がある。フィクションとノンフィクションは、フィクションが先なんです。最初に物語があって、それをどう考え、どう受け止めて、どういう行動につながったかというのがノンフィクション。だから物語を作ることを決してやめてはいけない。「絵本を読んで」とせがむ子どもたちのように、理性ではとらえられないところに被災者の方々の心情はある。理性じゃないし、そこで終わるような感情でもない。だから物語が必要なんです。物語を作り続けなければならない。
谷津 伝統芸能もそうですね。計り知れない自然というものにどう相対するかを捉えようとしたのが、原初的な芸能だと思います。
長谷川 その通りだと思います。昔話もみんなそうでしょ。みんなフィクション。それをなぜ必要とするか。真実はどっち側にあるかと言ったら、僕は物語の方にあると思う。子どもたちは理性で考えられないので、真実を知るためにもっと物語を、もっともっと読んで、という風になるんですよ。今の社会を見るとそれがもっと必要だと思う。物語をどんどんつぶす方向に来ていますからね。多様性を認めない。震災に絡んでもそれがわかりやすい形で構造的に見えてきましたよね。被災者に対してすべて同情しなければならないとか、忘れてはいけないとか、原発を過去の歴史にしてしまうとか。特に原発に関しては、これは大きいです。原発がああいう風になってしまって、実は日本はもう一回終わったんだということをちゃんと考えなければいけない。それを考えることができないのは物語の喪失です。日本はあの原発事故があったことで世界に対して常に引け目を持たなきゃいけないはずのに、それを、無かったことのようにしていっている。それに対抗する一つの手段が演劇です。人間に対する基礎研究はテレビにあるか演劇にあるかって言ったら、明らかに演劇の方にあるわけです。だから演劇をやってきた連中というのは自分の核となるものを持っていますよ。疎まれるけどね。
谷津 まったく書けなくなったところから、どのようにして書けるようになったのでしょうか?
長谷川 いろんなきっかけはあるんだけれども、物書きの常として、毎日、最低1日3時間から4時間は座ってるんですよ、毎日やるんですよとりあえず。毎日ですよ。本当に座り続けたんです。物語がやってくるまで1ヶ月半かかりました。どこからやってきたのかって聞かれると困るんだけど、やってくるんです。それまでまったく、一行も書けませんでした。あ、エッセイだけは書けたかな。「なぜ自分が今こうなのか」っていうエッセイだけは書けた。井上ひさしさんは台本がなぜ遅れてるかっていう理由は書くけど、台本は書かないでしょ。自分を客観視して書くっていうのはできるんですよ。だけど、物語は違う。
谷津 2011年の4月に太宰治の「津軽」を上演されていますが、これは震災前から決まっていたんでしょうか。
長谷川 前々から決まっていたものです。他の多くの公演と同じように、中止にする話も出ました。でも僕は、青森県知事(編集者注:2003年6月より現職の三村申吾氏)と話をして「やりましょう」と。「絶対物語は必要です」と言って、やりました。被災者の方も招待して。だから青森県知事は偉かったです。彼はもともと文芸の編集者ですから、分かるんですよ。人間には物語が必要なんです。大人は理性だけで真理に到達できると思ってるでしょ。特に今の社会はそうだ。でも子どもたちは、真理が物語の中にあると知っている。いろいろな物語を見てその中で取捨選択をしていって、「これだ」と思う真実に至るのが、必要なことだと思います。
(2019年12月9日 仙台)
長谷川孝治
劇作家・演出家。青森県立美術館舞台芸術総監督・NPO弘前劇場理事長。1978年劇団「弘前劇場」結成(現NPO法人弘前劇場)。1996年第1回日本劇作家協会最優秀新人戯曲賞。2006年~現在、青森県立美術館舞台芸術総監督。2013年日中韓国際演劇制作作品『祝/言』をソウル、チョンジュ(全州)、テジョン(大田)、北京、上海、青森、仙台、東京の8都市で上演。